僕の生徒を紹介します






“休学届け”


それは、春休みのこと。
彼女はひどく悲しい表情で笑って、僕を見上げた。


手をかざしてみたら
西沢卓信×木村さえ



「あっちー」


五月中旬。
前期の中間テストを目前に控えた学校。
体育のあとの熱気を蓄えた教室。


「俺のネクタイどこー?」

「あー!下駄箱にタオル忘れた」

「ねえ、誰かスプレー持ってないー?」


滲んだ汗をぬぐいながら飛び交う声。
その中で、僕はなかなか準備の整わない教室を見渡した。次は僕の英語の授業なんだけどな、チャイムはもうとっくになり終わってるのにな、そんな意味を込めたため息を数回。

ついたことには、誰も気づいてくれない。


悲しくなって窓際に歩みよれば、そこから覗く空には寂しいほどなにもなく、青が広がるだけ。

そしてふと思い出す、1ヶ月ほど前の空。



「……休学届け?」



白い封筒にかかれた文字と、情けなく微笑む女子生徒。

“木村”


そう書かれたスリッパの爪先へと伏せられた目。ほんの数週間前まで、自分のクラスの生徒だった、木村さえ。

彼女はあばら辺りまで伸びたくせ毛がちの髪を、窓から吹き込んできた春の風に揺らした。桜が咲くにはまだ少し早い、三月の終わり。

春休みに入ったばかりのその日、木村は僕に、その封筒を渡すために学校へとわざわざ訪れた。


「休学って……よく、考え……た、結果なんだよなあ…」


伏せられた瞼から伸びる長い睫毛が、小さく揺れる。

木村はもともと母子家庭で、唯一の支えであったその母親が倒れた。それは彼女が高校二年生の夏で、バイトと学校、そして病院を往復する生活を送っていた。

そんな彼女がこのタイミングで差し出してきた“休学届け”。“退学届け”ではなく、考えた末の決断は、休学。


「大変なのは良くわかってる。木村が頑張ってたことも、ちゃんと見てた」

「先生、わたしやめないよ」


悲しげに笑う17歳の少女。
木村は華奢な体つきで、可愛らしい感じの女の子で、頼れる人は倒れた母親だけ。そんな彼女が、寝る間も惜しんで勉強とバイト、介護を繰り返す毎日は、きっと計り知れないほど辛かったのではないだろうか。



「お母さんの調子が良くなったら、ちゃんと学校来るから。…その日まで……」

欠席扱いされ続けて自主退学なんて求められたくないから、それ受け取って。


そう言った。

「もし、単位足りなくても…来年、再来年でも、ちゃんと来るから」

涙の溜まった目が、三日月型に変わる。


「だから、それまで…」


“ここにいてね、先生”



流れた涙は、頬を伝って落ちた。
その行く末を追うことはしないで、僕は彼女の背面に広がる空を見つめた。



「じゃあ、戻ってくるって信じてるからな」

「うん」


「木村の席、開けておいてもらえるように新しい担任に頼んでおくから」

「うん」


きっと、この休学届けの受理はすでにされているだろう。校長や教頭の印鑑がいるような書類が入っているのだから。


「今日は、天気がいいな」

僕の言葉に、外へとからだを向けた木村は、太陽の眩しさに目を細めて手を翳した。



「こうすると、前が見えます」


“手をかざしてみたら”


「前が、良く見える」



木村の最後の声が、そこで途切れた。
きっと今ごろ、今日も天気がいいね、なんて母親と話しているんじゃないだろうか。

フッと漏れた笑いを遮る、生徒の声。


「ジロー!今日授業やらないの!?」

「やらなくていいよ!休憩しよう」

待ってるよ、新しい担任は。

「はーい、じゃあ教科書開いてー」



手をかざして空を見上げて、君の笑顔を。



───────────…
(へっくしゅん)
(さえ、風邪?)
(誰かが噂してるのかな)

配布元:嘘つきピエロの憂鬱
管理人:シェリ様








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